人はイメージで判断してる→『ゴールデンスランバー』
堺雅人が主演の『ゴールデンスランバー』を観た。
タイトルに使われている『ゴールデンスランバー』とはビートルズの楽曲から引いてるもので「黄金のまどろみ」という意味*1。
まどろみという表現は暗喩的で分かりづらいけど、これはおそらく「キラキラ輝いていて、うとうとしていられた幸せな時間」くらいの意味を指している。
大学生だった頃。
友人たちとファーストフード店でポテトをつまみながら語り合い、花火屋のバイト先で忙しく働いていた。
カメラはそんな仲睦まじい彼らの姿を映し出す。
そこに映し出される映像は淡い色合いに加工されていて、BGMには「ゴールデンスランバー」がかかっている。
その時代が彼らにとっての「黄金のまどろみ」だということが分かる。厳しさとは無縁でいられた、青年時代を謳歌していられた時間。
つまり30歳を迎えてしまった大人の郷愁心なわけです。
が、そのことが物語といったいなんの関係があるのだろう?という疑問に、この映画はうまく答えてくれない。
原作を読んでいないので映画から憶測するしかないのだけれど、物語とゴールデンスランバーとの関係がまったく見えてこない。
森田(吉岡秀隆)は当時を懐かしんで「帰るべき場所」だったと悲痛な顔で語る。カズ(劇団ひとり)も同様のセリフを口にし、青柳(堺雅人)にしてもそうなのだと思う(恐ろしくわかりづらい。おそらく感情表現がないため)。
しかしこの映画は、謎の組織によって冤罪をかけられた男が必至に逃げるという話だ。
それは突然、理由もなく身に振りかかる天災のようなものであり、権力や国家といった不透明なものの恐怖を描いている。
冤罪を着せられて逃げる男と、ゴールデンスランバー。
これがまったく結びつかない。
この映画が成功しているのは、人はイメージで判断してしまうというメッセージを観客に自覚させることにおいてだ。
それはたしかにそうで、テレビで流れているCMなど、すべてはイメージ操作を目的としている。
たとえば、ある女優と小さな女の子がパンを宣伝しているCMなどがあるが、あの間柄に必然性はない。
親子という関係性を擬似的に作り出し、母と娘があかるい陽が差し込むキッチンでおいしいパンを頬張る、という姿を演出したいだけだ。
彼女らの間に必然性はない知りつつも、ぼくたちの頭のなかには美味しそうなパンというイメージが形成される。
この映画でもイメージが形成されるプロセスが描かれている。
メディアは青柳という本人(実像)から大きく歪めた、首相を殺害した極悪人「青柳」という犯人像(虚像)を作り上げて放映する。
青柳が首相殺害に利用したラジコンヘリコプターを購入している姿や、川辺でその飛行訓練をしている姿、という「客観的証拠」(映像)を根拠にして、彼らは犯罪者青柳という人物像をつくっていく。しかし、もちろんこれは印象操作だ。
青柳は自分のはラジコンヘリコプターを買っていない(買っていたのは組織がある男を整形して用意したニセモノである)。
青柳がラジコンヘリを飛ばしていたのは事実だが、ヘリの購入はウソだ。
メディアは客観的証拠と称して、それを恣意的に乱用し、一人の犯人像を作り上げている。
こうして事実とウソをごちゃまぜにして作られた虚像。犯人青柳の出来上がりである。
ここからネタばれ。
注意して読んでください。
この映画のテーマの一つは「人はイメージで判断する」。これをハリウッドの構成法を利用して表現している。
映画が始まると、エレベーターに晴子(竹内結子)が、続いて夫(大森南朋)と娘が乗ってくる。
晴子は降りる階のボタンを押そうとするが、その前に帽子を深くかぶった怪しい身なりの男が立っている。
彼女は気味が悪いといったような面持ちでボタンをさっと押し、すぐさま身を壁に張り付きじっと待つ。
すると騒いでいた娘が帽子をかぶった男にぶつかってしまう。
夫は娘の非礼をすぐに詫び、彼ら親子はエレベーターを降りる。
しばらく歩いたのち夫は、「ああいう人がキルオ*2みたいにキレたりするんだよな」という。
観客は心のうちで彼の意見に賛同してしまう。
これはイメージ(印象)の機能を説明するために伏線である。
実はその男が青柳であった、ということを終わりに観客に知らせることでもって。
ハリウッドの構成法には、始めと終わりにおなじカットを入れる手法がある。
この映画でいえば、それはエレベーターのカットがそれだ。
晴子は前にいる男をじっと見つめる。
観客は晴子の姿を見て、「あいつ、なんか怪しいな」と思う。
これが終わりで逆転する。
青柳が謎の組織の陰謀から逃げ延びること成功してから2ヵ月後。
スクリーンには、始めに映し出されたエレベーターのカットが再び映しだされる。
そこで晴子は確かに前にいる男をじっと見つめている。
しかし、それは怪しんでいたから熟視していたのではく、彼が青柳だと分かっていたから見つめていたのだ。
ではなぜ彼女には分かり、観客はわからなかったのか?
理由は二つある。
一つには、青柳が整形しているからである。
決死の逃避行の末、多くの助けを得て逃げきることに成功した青柳だったが、それでも姿をかくして生きなくてはならない。
顔が割れたらすぐに消されてしまうからだ。そこで彼は整形をした。だれにも知らせずに。
二つ目の理由。
それは彼の仕草が特徴的だったからだ。
青柳はボタンを親指でぐいっと押す習慣があった。
そのような人は稀である。晴子は当時付き合っていた青柳のクセを思い出し、エレベーターのボタンを親指で押している人物が青柳であることに気がついたのだ。
始めは疑わしい男に思え、終りでは無実の男に見える。
では、この判断の逆転が示していることはなにか。
もちろん、それが本作のテーマである。
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*1:
*2:連続刺殺事件の犯人