「見えない」ものを「見る」方法

このあいだ『批評理論入門』という本を読んだんですが、読んでいて発見したことがあっ
たので、今日はそれを書きます。


批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)


上記の本のなかで著者は、「批評理論とは作品の解釈の可能性を拡大することである」
語ってます。
まぁ、批評とは新しく作品を捉え直すことみたいなところがありますから、なんとなくは
イメージできますけど、これでは具体性に欠けてよくわかりません。
いったいどういうことなのか。
じゃあ、こう考えてみましょう。
もしここで紹介されている概念がなかったらどうなるか。


たとえば、「物語枠」という概念。
これは物語のなかにさらに物語が埋め込まれているもののことを指すそうです。
つまり多重構造のことですね。
先日、ひとつまえのエントリで扱った『インセプション*1はこの構造で作られていました。
図で書くとこうなります。



この絵を見て、いくつか質問をする(考える)ことが可能になります。
たとえば「なぜ作り手はこのような複雑な構造にしたのか」というような問いを。
じつはこれが新しい概念を手に入れた効用なんですよね。


「えっ。これが?」
「なんだよ。ただの疑問じゃないか」


と侮るなかれ。
これはなかなか大きな発見です。
これは主体が新しい言葉を獲得し、その概念から対象を眺めることが可能にになったから
こその質問です。
もし言葉がインストールされていない時のままだったら?
「『インセプション』とは多重構造である」といった認識もできなかったでしょうし、多
重構造に対して放った質問は実を結ぶことはなかったはずですよね。
やはりこれは収穫です。
概念というサーチライト(@『知的複眼思考法』*2)によって、それまで見過ごされたもの
に光があたる。
これが概念(言葉)の効用なんですね。


とはいえ、その質問から答えが考えつかないこともあるかもしれない。
事実、ぼくはまだそこから「答え」を得られていません。
なぜあのような複雑な構造にするべきだったのか。
それがよく分からない。


「なんだ。じゃあ意味ないじゃないか」


という向きもあるかもしれませんよね。
気持ちは分かりますよ、えぇ。
しかし、それには「質問は回答に勝る」という先達の教えで対応できると思ってます。


正直言って、ぼくはまだその理路がうまく飲み込めてないんですけど、おそらく上記の理
由によるんじゃないかと思います(とゆーか、いま思いました)。
つまり、解決には繋がらないけれど、今まで見えていなかった側面に光があたったことに
よって、それを「解釈する『可能性』が拡大」したということじゃないかと。
答えはすぐには得られないかもしれない。
けれど、新しい側面から対象を捉え直し、考える余地を手にいれることができた。
そのことを寿けばいいのではないか。