これは夢か現実か→『インセプション』


ダークナイト』で批評家たちに大絶賛されたクリストファー・ノーラン監督の新作『インセプション』を観てきました。



これがなかなか面白かったんですよ。
映画自体はそれほどだったのですが、モチーフがなにより興味深かったんです。
で、この映画が何を問題にしているのかというと、「今いる世界が夢か現実か分からない」問題を扱ってる作品なんです。


「夢か現実か分からない? そんなバカなw」


と笑う人もいるかもしれませんね。
が、これはすこし考えてみると、これはなかなか難しい問題なのです。
というのも、


「いま私がいる世界は現実である」


といったときに、


「じゃあ、今いる世界が夢じゃないという証拠はどこにあるの」


というイジワルな反論にうまく答えることができないからです。


「そりゃあ、こうして目覚めているのが何よりの証拠さ。さっき起きたばかりだもん」


という反論はありそうですよね。
しかし残念ながら、その反論は成り立ちません。
なぜなら、「いま起きている」というその世界が、すでに「夢の中の世界」である可能性があるからです。
ここ、分かりづらいところです。
つまり「夢の中の世界」と「現実の世界である」との認識が逆転している可能性があり、その可能性は排除することができないからです。
夢の中にいながらにして、現実の世界にいるということはできません。
このような、難解なことを問題にしているのが『インセプション』なのです。
やな映画ですね(笑)。


でも、待ってください。
これって、なんか似た映画がありませんでしたか?
おなじような問題を扱った映画が過去にもありました。
キアヌ・リーヴスがカッコよく背泳ぎしていた『マトリックス』です。
マトリックスは、人工知能が人間を栽培しているお話でした。
人工知能によって現実を生きていると思い込まされているアンダーソンは、ある日モーフィアスに、


「おまえのいる世界は人工知能によって見せられているニセモノだ」


と告げられ、気づくことができました。
しかし、考えてみると、これすらもじつは怪しいと思うのです。
というのも、そういうモーフィアスくんだって、アンダーソンくんの夢のなかの人物かもしれないからです(つまり、人工知能によってアンダーソンの頭のなかにつくりだされた人物かもしれない!)。



この問題(哲学では独我論といいます)は、夢の中の世界の人のなのか現実の中の世界の人なのか、それをたしかめる術がないことです。
つまり、主客の一致を確かめることができないことにあります。
そんな芸当が可能なのは、全知全能の神様のような存在だけです。ぼくら人間には、いまが現実なのか夢の中なのか、それを確かめることができないのです。


インセプション』の主人公コブ(ディカプリオ)は、この問題に気づいており、小さなコマを持ち歩いていました。
世界の区別があいまいになったときにコマを回し、回り続ければ夢の中、止まれば現実の世界だと分かる。
コブはそういいます。
しかし。
たとえそのコマが止まったとしても、果たしてそれが「現実」の世界であるといえるのかどうか・・・。


結局、ぼくたちにはこの認識している世界が現実なのか夢のなか、その真実を知ることはできないのです。
インセプション』は、そのような問題を抱えてしまった人間がどうなってしまうのか、
そんなことを暗に示した映画でもありました。


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