明日もまた日は昇る、じゃない!→『知性の限界』


すごくおもしろい本を読みました。


知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)


この本のなにがおもしろいって、「限界」についてとことん考えているところです
ね。
限界というと、アンドリュー・ニコル監督の『ガタカ』を思い出します*1


遺伝子操作によって生まれながらに優れた知能・体力・容姿をもつ「適正者」たち
が牛耳る社会で、その遺伝子操作を受けずに生まれたために欠陥のある遺伝子をい
くつも抱えることになった「不適正者」の男が、遺伝子操作されものしか就くこと
ができない宇宙飛行士を夢見て目指すという映画です。


なかなか燃える設定ですよね。
もちろん「不適正者」だからこそ燃えるのであり、「限界」に挑戦していくさまがとてもカッコいい。
話を戻します。


著者の高橋さんは、『知性の限界』のなかで「帰納法のパラドクス」というものを
解説をしています。
帰納法というのは、個別の事例から普遍的な法則や規則を見出そうとする推論方法のことです。
たとえば、


①太陽は東から昇って西へ沈む。
②今日も太陽は東から昇り西に沈んだ。
③だから明日も太陽は東から上り西に沈むだろう。


という推論のやり方のことです。
太陽って東から昇って、夕暮れ時に西の方へ沈んでいきますよね。そしてこれは毎日おなじようにくり返されています。だから明日もおなじことが起きるだろう、というわけです。


これはダイエットなんかにもいえることです。


①朝食にバナナを食べてたら痩せた。
②たくさんの人がバナナで痩せた。
③だからバナナは痩せられるダイエット法だ。


これはたくさんの人が根拠になっているわけですが、こうしたものも帰納法の一種です(これを枚挙的帰納法と呼ぶそうです)。
ほんとにバナナのおかげ(原因)で痩せた(結果)のかムチャクチャ怪しいところですが、このようにぼくたちは帰納法をつかって日々の生活を営んでいますし、科学なんかもこの推論の方法に助けられ進化してきました。


が、しかし、です。
この帰納法にはパラドクス(逆説)があるというのです。それを指摘したのは哲学者のヒュームでした。


帰納に合理的な正当化を与えることはできない。それはわれわれ人間の心の癖み
たいなものでしかない


なぜヒュームは「合理的な正当化を与えることはできない」といったのでしょうか?
それは帰納法それ自身に問題があります。
というのも、帰納法はこれまであったことがこれからも続くだろう、ということを前提としています。
これはいいですよね。まさにそのとおり。


「今日も電車は時刻表通り、7時50分ちょうどにやってきた。
 だから明日も時刻通りやってくるだろう」


というような推論をぼくらは日常的にしています。
そこにきて、「その思考法に合理性はない」なんて言われても、なんか引きますよね。
ぼくらはこの帰納法に依存して暮らしてるんだから。


しかし、しかしです。
これをですね、べつの形にしてみると一発でヒューム君が指摘していたマズい点がわかるんです。


帰納法はこれまでうまく使えてきた。
 だからこれからもうまく使えるだろう」


どうですか? ちょっとドキッとしませんか。
ぼくは指摘されたとき、「うぉっ」と声にならない声を出してしまいました(笑)。


なぜ帰納法はマズいのか。それは、帰納法を正当化しているのが帰納法それ自身だからですね。
太陽はいままで西から昇り、東へ沈んでいった。
それは事実かもしれない。しかし、明日以降もずっとおなじことが起こるとはいえない。
なぜなら、明日以降もおなじことがくり返される、という主張を支えるのは、いままでそうだったからである、という過去の事実を根拠としているから。過去がそうだったからといって、なぜ未来もそうであるといえるのか。


ヒュームはこのような循環論法をマズいだろといったわけです。
してみると、日頃行っている思考法に正当性ってものがあるのかどうなのか、疑わしくなってきます。
面白いですよね。


と、現実への信頼度をさんざんかき回したところで、本日はお開きです(笑)。
つづきはまたいつか。

*1:

ガタカ [DVD]

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