ホップ、ステップ、ジャンプ→『虐殺器官』


先日、伊藤計劃さんの『虐殺器官』というSF小説を読みました。


虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)


これが大変読み応えのある傑作だったんですけど、あまりにも広範な分野に触れられてい
るために、書評がなかなか書けなくて困ってます。
そこで、「まとまった文章を書くにために、まずはメモを取りなさい」(byjibun)に
習い、メモしたものをうpしてみました。


ホップ、ステップ、ジャンプみたいなものですよ。
「高く飛ぶためには一度沈まなければならない」、みたいなこといいますし。
ははは。
ん?ちがう?
まぁまぁ、細かいことはいいじゃないですか(笑)。
さあ、行きますよ。


注:★ぼくのコメントです

情報を発信するのは容易だが、注目を集めるのはより難しくなっている。世界は自分の
欲する情報をにしか興味がなく、それはつまり情報そのものは普通に資本主義の商品にす
ぎないということだ。


★ほんとですよね。
情報を発信するのはすごく簡単です。
いま、そのハードルはすごく下がりました。
ゆえに、注目を集めるのが難しくなっている。
では、いかに注目させるべきか?
面白くなる、くらいしか根本的な解決法はない気がします。

「現実は言語に規定されてしまうほどあやふやではない。思考は言語に先行するのよ」
「でも、ぼくはいま英語で思考していますよ」
「それは、思考が取り扱う現実のなかにことばが含まれているからね。思考が対象とする
さまざまな要素のなかに言語が含まれていて、それを取り扱っているだけのことよ。言語
は思考の対象であって、思考より大きな枠ではないの」


★かっこいい表現ですね。
サルトルの「実存は本質に先立つ」からいただいている感じです。
思考は言語に先行する。
なるほど、よろしい。
では、その思考は何によって規定されるのか?
それは「ことば」ではないのか?言葉ではないとすれば、なんなのか?
認知心理学者のピンカーは、言語が思考を規定することを言語決定論と呼び、それを否定
しています*1
言語決定論者には、かの哲学者、ニーチェウィトゲンシュタインハイデガー、それに
バルトという大家がいますが、ピンカーは


「ほんとに彼ら言ってることを信じてるの?ぷぷぷ」


くらいに批判し否定してます。
勇気あるなぁ。感心しちゃうよ。
けど、ほんと?


言語決定論を支持するものとしては、ピンカーの概念意味論にはちょっと懐疑的にならざ
るを得ない感じです。
というわけで、判断を留保。
もうちょっと考えなさい>オレ


罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができる、という希望を剥
奪されることだ。殺人が最も忌まわしい罪であるのは、償うことができないからだ。(中
略)死者は誰も赦すことができない。(中略)人は取り返しのつかないことになってはじ
めて、その不可逆生に痛めつけられる。


★卓見ですね。
父母の死を、また親友や恋人の死をひとびとが嘆くのは、謝罪の可能性を剥奪されてしま
うからですよね。
この先、二度と赦してもらうことができない。
その冷厳で変わることのない事実を知ったとき打ちのめされてしまう。
これは赦しとはちがいますが、「時間」にしてもおなじことですね(ex.映画『時をかける
少女』)。
後者は痛恨かな。
いずれにしろ、不可逆性キライ。

「人は、選択することができるもの。過去とか、遺伝子とか、どんな先行条件があった
としても。人が自由だというのは、みずから選んで自由を捨てることができるからなの。
自分のために、誰かのために、してはいけないこと、しなければならないことを選べるか
らなのよ」


★自由意志論が出てきました。
著者は参考文献を挙げられてませんが、あとがきを書いた大森望さんは、ダニエル・デ
ネットの『自由は進化する』が参考文献としてあったはずだと指摘されています。
デネットの原著は読んでないので、それを訳した山形浩生の『訳者解説』*2を再読してみよ
うと思ってます。


感情とは価値判断のショートカットだ。理性による判断はどうしても処理に時間を要す
る。というより究極的には、理性に価値判断を任せていては人間は物事を一切決定するこ
とができない。完全に理性的な存在があったとして、それがすべての条件を考慮したなら
ば、なにかを決めるということ自体不可能だろう。


★『理性の限界』ですね*3

「仕事だから。十九世紀の夜明けからこのかた、仕事だから仕方がないという言葉が虫
も殺さぬ凡庸な人間たちから、どれだけ残虐さを引き出すことに成功したか、きみは知っ
ているかね。仕事だから、ナチはユダヤ人をガス室へ送れた。(中略)すべての仕事は、
人間の良心を麻痺させるために存在しとるんだよ。資本主義を生み出したのは、仕事に打
ち込み貯蓄を良しとするプロテスタンディズムだ。つまり、仕事とは宗教なのだよ。信仰
の度合いおいて、そこに明確な違いはない。そのことにみんな薄々気がついていはいるよ
うだがね。誰もそれを直視したくはない」


マックス・ヴェーバーが見抜いた資本主義の本質に言及してますね*4
だから、主人公は殺人に対する罪悪感に苦しむことがなかった。
「仕事という宗教」が赦しを与えてくれたから。
しかし、彼は「直視したくない」現実を見てしまった。
さて、どーなる、ってことなのでしょうけど、あのオチがまだよくわかんないデス。
くやすぃ。


以上、気になったところを抜粋してコメントを付けてきましたが、こうやって書き出して
みるといろんな切り口(各論)から語れそうです。
しかし「おまえの力量じゃ、総論はちょっとやっかいだろうな」ということはご理解いた
だけたと思います。
ん?
甘えんなって?
へへへ。

*1:

思考する言語(上) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(上) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

*2:

訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書)

訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書)

*3:

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

*4:

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)