外の世界から身を守るための敬語→『ちゃんと話すための敬語の本』


ちゃんと話すための敬語の本 (ちくまプリマー新書)

ちゃんと話すための敬語の本 (ちくまプリマー新書)


 書店でこの本を手にとったとき、ぼくは宇多田ヒカルを思い出しました。
あれはたしか『うたばん』だったと思うのですが、10や20も年上のMC(石橋貴明
中居正広)に彼女は「タメ口」で口を利いていたんですよね。


 「えぇ〜、うっそー。それはありえないって(笑)」


 いやいや、あんたの語法のほうがありえないって、と思ったのは若き日の僕ですが、い
までもあのとき感じた印象はあまり変わってません。
 そこで、この本です。
 この本はなぜ敬語が必要なのか、その必要性を時代を遡って説明してくれています。


 端的にいってしまうと、敬語が必要なのは「自分と相手とのあいだには距離がある」か
らです。
 世界に存在するのが自分だけならタメ口だけで十分です。
 「今日はなにをなさるんですか」と自分に向かって尊敬語を使うのはおかしい。
 ですよね?
 尊敬の敬語とは、自分より目上の人に使う言葉だからです。
 では、自分より目上の人とはだれか。
 それは自分より①社会的地位や立場が上の人、②年齢が上の人。
 この2種類の人に対して使う言葉です。


 以前、宇多田ヒカルのタメ口に違和感を覚えたのは、①はクリアしていたとしても②に
違反していたからです。
 MCは①の都合上ニコニコと対応してくれていましたが、内心は生意気な小娘だと思っ
ていたのではないでしょうか。いや、思っていたに違いありません。
 それというのも、敬語は江戸時代より以前から使われてきた慣習で、またタメ口という
のは「一方的にイバること」(おなじ立ち位置に相手を引きずり下ろすこと)であり、彼
女の一回りもふた回りも「上」にいる人に対して「下」の者から発せられた言葉だからで
す。これでイラっとしないはずがありません。
 おそくらぼくは彼女のあまりのも無防備な語法を採用していることに驚いたのだと思い
ます。


 「家の中の世界」(公私の私の世界)では敬語はいりません。
 「ご飯?いらねーよ」「おまえ、最近生意気だなww」といったタメ口が許される世界
です。家の中の世界では「裸のままの自分」でいられます。
 しかし外の世界(公私の公の世界)ではそれが通用しません。
 他者とのあいだには常に「距離」が存在し、それがどの程度のものなのかよくわからな
いからです。
 どれくらいの距離がある相手にタメ口をきいたらどうなるでしょう?
 だから、敬語という外出用の「服」を来て出かけていく必要があるのです。


 な〜るほど。