「欲求のちがい」による不幸:『ブルーバレンタイン』
なぜ結婚生活がうまくいかないのか?
「愛には努力が必要だから」という意見があります*1。
しかし、努力ならしていました。
ならば、なぜ?
「欲求がちがう」からです。
夫・ディーンは「自分の心に忠実に生きるのが幸せ」であり、妻・シンディは「人に認められることが幸せ」という「欲求」の持ち主です。
ディーンがシンディに贈った「you and me」というラブソングは、彼の世界観をそのまま示しています。彼にとって世界とは「君と僕」だけであり、それ以外は「背景」であり、その世界を生きることが彼の幸せなのです。
しかし、シンディは背景の世界を求めていました。看護士として働く病院で、尊敬している医師から言われた言葉に失望したのは、彼女が背景の世界を求めている人だからです。ディーンとはちがい、シンディは他者を必要とするのです。
自分の世界を生きる夫と、外部の世界を生きる妻。
つまり、「どこに幸せの軸を求めるのか」であり、二人はこれが決定的に異なっていました。
結婚生活をおくっていくなかで、静かに、しかし強い不満を抱いていたのはシンディです。ディーンの不満(妻が冷たいetc)はそれによって生まれた派生的なものにすぎません。
満たされることのないシンディの不満の循環が、少しづつ彼らのあいだに溝を作っていきます。
シンディはクリエイディブな才能を持っているディーン*2に問いかけます。
「何かやりたいことはないの?」
外部世界の評価を大切にするシンディにとって、それは当然の質問でした。
ディーンにもっと成長してもらいたかった。もっと尊敬したかった。そして愛したかった。
それが彼女の「努力」のひとつでした。
しかし、ディーンにその言葉はまったく届きません。
「夫であり父である他に?(これ以上、何が必要なんだ?)」
彼はいまの生活に満足していました。ビールを飲みながらできるペンキ塗りの仕事。愛する妻と娘との生活。それだけでディーンは幸せでした。
シンディはそんな彼の幸せを理解できなかった。彼女の眼には、才能を磨こうとせず、現状で満足している怠惰な夫の姿が映っていたはずです。
欲求のすれちがいによるこの夫婦の不幸は、ラストカットからエンドロールで最高潮に達します。
ここで行われるハピネスとアンハピネスのコントラストの演出は、近年まれにみる切なさでした。
え? 結局どっちに感情移入したか、ですか?
ぼくの立場はかなりはっきりしてますよ。
「ディーーーーーーン!!(泣)」です。