怒りの消火方法:『もう、怒らない』


 先日、怒りの体験をしました。


(電話で在庫確認をしようとして…)

「あ、すみません。そちらにiPad2の在庫、ありませんでしょうか?」

iPad2の在庫ですか? すべて完売していますが…(まだ何か?)」


 電話をとられた方は、その声色や落ち着ついている感じから、40〜50歳くらいの女性の方だと思いました。数分後、在庫確認しにいっていた彼女は電話口へ戻ってきて、「すべて完売していますが…」と沈黙つきの回答をしてくれました。

 
 カッコ内の言葉(「まだ何か?」)は、ぼくの頭のなかで再生されたものです。おそらく相手の女性は、そんな皮肉を込めたつもりはないと思います。実際言ってませんし(笑)、そういった人柄なのだと思います。
 しかし、「○○ですが」という接続詞は、そのあと何か言うときに使う言葉です。そこから「まだ言い足りないことがあるのではないか?」と勘ぐってしまいました。


 このとき「脳内でストーリー」が動きだします。
「ただ確認しただけなのにバカにされた。こっちは客だよ? これは不当な扱いじゃないか(怒)」という感じに物語化されていきます。物語化(「被害者である自分」)された怒りは、正当性を持っています。つまり「反撃する権利」を手にしているわけです。だから話がこじれるんですよね。
 

 そもそも怒りはなぜマズいのでしょうか? 
 いくつか理由があります。


1. ものごとの事態をさらに悪化させる(外部デメリット)
2. イライラする→ストレスが溜まる→不幸になる(内部デメリット)


 怒りは相手の怒りを呼びます。
 プライドを傷つけられた人間が何をするか? もちろん反撃ですよね。皮肉を言われた(と思った)瞬間、思いっきり皮肉ってやりたくなりました。ここからは悲惨です。まるでいいことがありません。


 もうひとつのデメリット。それは怒りそのものが自分を不幸にすることです。
 報復方法について考えるということは、つねにイライラしているということです。イライラしていると、すごく体力を消費しますし、なにより楽しくない。幸せとはほど遠い状態です。
 できるなら、止めたほうがいい。


 もし怒ることに意味があるとすれば、それは教育的な目的がある場合に限るなのではないでしょうか。それ以外の怒りは、無駄に自分を疲労させるだけです。(よく考えてみたら、東電問題などに怒れなくなってしまいますよね。失礼しました)


 では、どうやって怒りを止めればよいのか?
 まず、メタ認知で怒りを見張っておくようにします。つまり「自分を一歩引いて観る」イメージです。


 次に、なにかイヤミを言われたとき、「『いま客なのに不当な扱いを受けた』と思ってるね」というように客観視します。このとき注目したいのが、「思っている」という部分です。「○○だと思っているね」と他人事にしてしまうんです。すると驚くほど怒る気力がなくなってきます。
 なんかバカバカしくなってくるんですよね。まぁ、ちょっと落ち着けよ>オレ、という感じ(笑)


 こうして怒りの脳内ストーリーが始まってしまうまえに、さきに火種を消してしまいます。すると、たしかに噴火する確率はガクッと減ってきます。
 仮に怒ってしまったときでも、「あぁ、やっちゃってるな、オレ・・・」という感じで、怒ってしまっている自分を客観的に観察することができるようになってきます。
 てか、ダメじゃん(笑)
 

 というわけで、以上、怒りの消火方法のご紹介でした。
 わりとオススメです。


もう、怒らない

もう、怒らない