あえて信頼するという戦略:『安心社会から信頼社会へ』
人を信じる人はお人よしで、ダマされやすい。
常識的にはそう考えられてますが、ホントでしょうか?
実は逆なんです。
- 作者: 山岸俊男
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/06/01
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むしろ基本的に人を信じる人(=高信頼者)は、人を見る目があるといいます。
なぜでしょうか? 疑り深い人(=低信頼者)のほうが見る目があるのでは?
人間性を見抜く力が磨かれるわけ。それは信頼にはリスクが伴うからなんですね。
人を信頼するということは、自分の身に危険が及ぶことを意味します。
思い切って告白した相手に高笑いされてしまった、なんてのは痛恨の一撃以外なにものでもありません。もう二度と起き上がれないよ?
高信頼者はそうした生存意欲の危機(笑)を避けるために、告白相手をよく観察します。
もし相手が疑わしい言動をしていたら、そのたびに評価を下げていきます。だから相手を信頼して告白する人は、自然と人間性を判断する能力が養われていくわけです。
逆に、低信頼者は人間性を判断する機会に恵まれません。あいつはきっと笑うにちがいない、と疑ってしまい、さいしょから人を信頼することをしないから。
逆説的な話ですが、人をあまり信じない低信頼者は、高信頼者に比べ経験値や失敗データが圧倒的に少ないため、ダマされやすかったり、利用されがちなのです。
意外ですよね。
とはいっても、人を信頼をするのは勇気が入ります。相手がどのように行動するか分からないですからね。裏切られるくらいだったら最初から信頼しない、というのは合理的な選択ではあります。
しかし、人を信頼しないということは、相手の人間性を見抜く機会を失い続けることでもあります。また、新しい出会いや体験を失うことでもあります。
ちょっと惜しいですよね。
そこで、「あえて人を信頼する戦略」に切り替えてみる。
日本人はもともと低信頼者のようなので*1なかなか難しいとは思います。
が、ここは「あえて」「意図的」にやってみる。
たとえば、友人に飲み会のセッティングを依頼して、約束を守ってくれるかどうかを予想してみる。守ってもらえれば言うことなし。裏切られたら友人の評価を下げつつ(笑)、なぜ守ってもらえなかったのかを考えてみる。これなら裏切られてもダメージが少ないですからね。
目利き力を高め、人生を豊かにするためにも、ぜひチャレンジしておきたいところです。
*1:これは日本という「環境」に原因があるようです