驚異のレファレンス能力:『簡単に、単純に考える』


 清純のレファレンス能力、恐るべし。


簡単に、単純に考える (PHP文庫)

簡単に、単純に考える (PHP文庫)


 一見、表紙を飾っている羽生善治棋士が主役に見えますが、対談相手のスポーツジャーナリスト・二宮清純氏が主役を喰っています。サブである羽生さんが将棋について語り(ひどい!)、メインである清純氏が、守備範囲であるスポーツから最適な事例を引いて話を深めていく。これがすごく面白い。


 たとえば、勝負の歴史。

羽生 序盤の初手から二〇手、三〇手の間に、水面下ではものすごい駆け引きがあるんです。つまり「この形には指したくない」「この形なら、まあいいでしょう」とかの駆け引きがあって、非常に神経を使っているのです。

二宮 スポーツでも昔は、最後に力技で一発逆転というのがあったんですが、今はトータルに考えないと勝てない時代になっています。たとえば陸上の一〇〇メートルなど、昔、暁の超特急といわれた吉岡隆徳さんは、スタートからビュンと飛び出すのですが、五〇メートルぐらいでスタミナが切れて、最後は負けてしまうわけです。カール・ルイスが出てきて「そういうのじゃ駄目だ」と前半はスタミナを温存する走りが求められるようになったんです。彼は、一〇〇メートルを全部均等に考えたわけです。スタートダッシュを含めた序盤、中盤、終盤、ラストをトータルに考え、効率よくやろうとしました。

羽生 将棋でも、序盤で神経を使いすぎて終盤でミスがでるということはよくあるんですけど(笑)。

二宮 ところが、これがまた古くなってしまいました。シドニー・オリンピックで優勝したモーリス・グリーンは、スタートからロケットのようにダッシュして九秒台で走りきってしまいます。彼のもつ世界記録は九秒七九。考えてみれば、最初からドンと飛び出してスタミナがもたないのが問題なんですね。

(中略)

羽生 そうですよね。九秒間しかないんですから。

二宮 マラソンもそうなんですよ。昔は三十五キロまでは集団の後ろでしんどさに耐え、ほかの選手がスタミナの落ちたところを抜いて逆転するものだといわれていました。「マラソンは人生の縮図です」って。ところが、シドニー・オリンピックで、高橋尚子は序盤から主導権を握り、ほかの選手たちに爆弾を仕掛けてどんどん振り落としていったんです。つまり、相手のレースを破壊していった。彼女は顔はかわいいけれど、実像は破壊者です。そこが素晴らしい。(p.24-26)


 将棋→100メートル走→マラソン。競技はちがいますが、「勝負の歴史」という意味で繋がっています。
 各界の歴史を推し進めるているのは「常識の破壊」です。高橋尚子さんがデストロイヤーだというのは意外でしたが、どうしたら彼女らのように常識を壊せるのでしょうか?
 清純氏はさらに、ボクシングと野球を引いて説明しています。


 ボクシングではモハメド・アリの「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という戦い方が有名です。パンチ力の弱い左でジャブを打っておき、「ここだ!」というチャンスのときにパンチ力のある右パンチを浴びせるという戦法です。ボクシング界では「左は世界を制する」という言葉があるほど常識的な考え方であり、アリはその完成形だった。しかし、その常識をナジム・ハメド選手が壊してしまった。彼は左も右もパンチ力があるから、左右を同時に鍛え、ジャブではなくフィニッシュパンチにしてしまった。ボクシング界にとって、これは革命的な出来事だったようです。


 ではなぜハメド選手は、新しいスタイルを作り出せたのか? ボクシングの英才教育を受けておらず、発想が自由だったからです。過去の慣習に縛られることがないから、合理的な戦い方を生み出すことができた。
 逆説的ですが、教育の「欠落性」が新しいスタイルの確立に貢献したわけです。
 

 おなじように、メジャーリーグ新庄剛志選手が活躍できた理由を「天性の欠落性」だと言っています。つまり、生まれつきプレッシャーを感じない人間だったから、普通の人が感じるような恐怖を感じることがなく、思う存分活躍することができたというわけです。
 なんか説得力があるなぁ(笑)


 こうして各競技のあいだを跨(また)ぎ歩き、含蓄深い話にまで昇華させられるのは、「レファレンス能力」が優れている証拠だと思います。羽生さんの話を受け、次々にいろんなスポーツの話とリンクしてくれるので、いくつもの気づきや発見があり、とても読み応えがあります。