スローリーディング実践

 村上春樹の『アフターダーク』でスローリーディング(@平野啓一郎)を実践中。
とにかく、「なぜ」という疑問を意識的に突きつけることに集中する。
すると、いろいろな疑問が噴出してくる。


・なぜ「アフターダーク」というタイトルなのか。
・なぜ「カメラ」という視点で物語が語られて行くのか。鳥瞰的な視座から語られる物語
 は、まるで映画みたいだ。ロバート・アルトマンの群像劇みたいなところがある。
・主人公マリの姉はなぜ白雪姫のようにずっと寝入っているのだろうか?
・などなど。


 この読書経験で思いついた仮説を一つ書いてみたいと思う。
大学生のマリが深夜「デニーズ」でひとり読書していると、声をかけてくる青年がいる。
それは姉エリの同級生だったタカハシという名の青年で、彼らはちょっとした事がキッカ
ケで親しくなり、個人的な話をし始める。
タカハシ君は今まで「まずまず」生き方を目指して生きてきていたのだが、「真剣」に生
きる(司法試験合格を目指す)ことにした顛末を語りだす。
彼の生き方を変えたキッカケは、裁判を傍聴したときのことだった。
彼はその席で「裁判という制度」が「ひとつの特殊な、異様な生き物として映るようにな
った」という。
不思議な比喩を使って説明する彼にマリは訊ねる。

「異様な生物?」
 「たとえば、そうだな、タコのようなものだよ。深い海の底に住む巨大なタコ。たくま
しい生命力を持ち、たくさんの長い足をくねらせて、暗い海の中をどこかに進んでいく。
(…)そいつはいろいろなかたちをとる。国家というかたちをとるときもあるし、法律と
いうかたちをとるときもある。(…)そいつを殺すことは誰にもできない。あまりに強い
し、あまりにも深いところに住んでいるから。
(…)僕がそのとき感じたのは、深い恐怖だ。それから、どれだけ遠くまで逃げても、そ
いつから逃れることはできないんだという恐怖みたいなもの。そいつはね、僕が僕であり、
君が君であるなんてことはこれっぽっちも考えてくれない。そいつの前では、あらゆる人
間が名前を失い、顔をなくしてしまうんだ。僕らはみんなただの記号になってしまう。た
だの番号になってしまう。(『アフターダーク』、p142-3)


まるでシステムの風諭のようだ。
そしてタカハシ君は、殺人を犯し、放火し、通帳と判子を盗み、改悛の情も感じられない
犯人が死刑判決を食らったとき「当然」と思ったにも関わらず泣いてしまったことをマリ
に告白する。
その不可解な涙の理由を自己分析してこう語る。

「僕が言いたいのは、たぶんこういうことだ。一人の人間が、たとえどのような人間で
あれ、巨大なタコのような動物にからめとられ、暗闇の中に吸い込まれていく。どんな理
屈をつけたところで、それはやりきれない光景なんだ。」(同書、p145)


なぜ彼の眼には「やりきれない光景」として映ったのか?
仮説を一つ立ててみる。
「やりきれない光景」というのは、自分もそちら側に陥らないという確固たる自信がまっ
たくないと彼は判断しているからじゃないか。
そう考えてみると、答えはすぐに見つかった。

「裁判所に通って、関係者の証言を聞き、(…)本人の陳述を聞いているうちに、どう
も自身が持てなくなってきた。
つまりさ、なんかこんな風に思うようになってきたんだ。二つの世界を隔てる壁なんても
のは、実際には存在しないのかもしれないぞって。(…)ひょいともたれかかったとたん
に、突き抜けて向こう側に落っこちてしまうようなものかもしれない。というか、僕ら自
身の中にあっち側がすでにこっそり忍び込んできているのに、そのことに気付いていない
だけなのかもしれない。そういう気持ちがしてきたんだ。(同書、p141-2)


つまりこういうことだ。
人(個人)はあるシステムの内部で生きている(たとえば法や資本主義というシステム)。
その中では人生をおくっている私たちは、絶対安全な領域にずっと身を置きつづけること
ができるかどうかわからない。
いま立っている所は一時的に偶然的に与えられているだけであって、「ひょいともたれか
かったとたんに、突き抜けて向こう側に落っこちてしまう」可能性がにあるからだ(たと
えば『それでも僕はやってない』)。
そして底に落ちてしまった人は心が折れ、温厚で社交的な人格者であった人間をも犯罪に
駆立てるかもしれない。
死刑になって当然と思われる犯罪者も、犯行の背後にはそうした環境の被害者としての一
面があったのではないか。とすれば、罪に対しては粛々と受け入れるのは当然だとしても、
犯罪に走った背景にある境遇に対しては人ごととは思えぬ同情の念を感じ「やりきれない」
想いに駆られたのではないか。
システムの中で呼吸し生き続ける我々は、常にその中に含まれているのだから。


 たいした仮説ではない。
うん。それは間違いない。
そもそも仮説というより、普通の読み方かもしれない。 
時間をかけて読む人間ならば、この程度のことはなんでもないはずだ。
が、「村上春樹」という記号に過剰な幻想を見ていたものには(実際、スゴイのだけど)、
それができなかった。
理由?
つまり教祖だったわけです。それに歯向かう(テキストに挑む)のが怖かったんですな。
謎が解けちゃう気がして…。
あまりに愚かでいて傲慢だ。
加藤典洋氏のような知性が解読の対象にしているようなものなのに。
まぁ、しかし、記号からの呪縛が解けただけでも意味はあったかもしれない。
 「これを読めば感動できるかもしれない」というパッシブな態度から「意味を汲み取っ
てやる」というアクティヴな読み方(読み手)にスタンスを意識的にシフトさせてみる。
すると、テキストそのものが読者に対して「閉じたもの」から「開かれれたもの」に変化
する、というような感覚に陥るということを身を以て体験できたことに関しては。
ので、ぜひ(笑)。


補記
さきほどamazonで「柴田元幸」とキーワードを入力し検索していたら、開いたページの
トップに今夏村上春樹の長編新作が出版されるよとの告知が出ていた。
おぉ。
ファン待望の新作がついに…。
表題は「1Q84」(誤読しやすいのでご注意。「IQ84」(アイキュー84)じゃないよ)。

小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書)

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アフターダーク (講談社文庫)

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