アバターは芸術?→「岡田斗司夫のひとり夜話7」


岡田斗司夫のひとり夜話7」(in 大阪)に参加してきました。
大阪まで片道250km。
往復で500km。
新幹線を使ってもこの距離はなかなかw
まぁ、それはいいや。

そのイベントで岡田さんが3時間ずっとしゃべり倒していてすごく面白かっ
たんだけど、今日はそこで語られていたアバター論について書いときます。
オチに激しく触れているので、未見の人や、知りたくない人はご注意を。
(以下は岡田さんの発言を超訳し、ぼくの個人的見解まで盛り込んでまとめ
たものです)


アバターは芸術?



アバターを観た人は、ラスト、主人公の決断に驚いたんじゃないかな。
ぼくはすごく驚いた。
というのも、異星人側に寝返った主人公がそれまで仲間だった人たちを殺し
まくったあとに、「おれはここに残る」と宣言したから。


アバターの見所といえば、革新的な映像(3Dメガネをかけてみる立体的な
映像)がメディアで散々取り上げられていたけれど、私見では主人公の決断
のほうに軍配があがるのではないかと思う(同列に語るべきことじゃないけ
ど、「意外性」で言えばそちらじゃないかとぼくは思う)。
というのも、ほとんどのハリウッド映画のストーリーは、日常から(だいた
い比喩的な意味での)異世界に旅立って冒険し、ふたたび日常の世界に戻っ
ていく、という構造にもとづいているから。*1
典型的な例はハリソン・フォード主演の『刑事ジョンブック』。
この映画からハリウッド映画はずっとそのかたちをとってきた。
この手の映画は安心してみれる。


じいちゃんが恐竜を再現して作ったジェラシックパークってとこに遊びに行
ったらさ、恐竜がいっぱいいて、「おぉ、スゲーよ、ここ!」とハシャいで
いたのも束の間、急にあいつら反旗を翻して襲いかかってきやがったもんで、
もうほんと大変だったんだけど、まぁ、なんとかね、命からがら生き延びて
帰ってこれて、いまはまた平凡な日常を送ってるよ。


的なものなら、「エンターテイメント」として楽しめる。
うん。
しかし、アバターはちがった。
彼は「オレはもう地球なんかには帰らないよ」と高らかに宣言した。
地球(日常への帰還)への決別宣言。
ここがアバターの新しさであり、「芸術」である証左である。


今回のアバターのように、それまでの社会などが採用していた価値観を否定し、
新しい価値観を提示するものを「芸術」と呼ぶ。
芸術は、「社会の価値観なんかくそ食らえ!オレはこれを表現したいんだよ」
というクリエーター(アバターでいえばキャメロンね)の魂によって表現され
る。
観客はそこで、それまで無邪気にも採用していた価値観をぐらっと揺さぶられ、
心が揺れる。
「べつにさ、向こうに行きっぱなしでもいいんじゃね?」とキャメロンは言っ
てるわけだ。
これはおそらく前代未聞。
逆にエンターテイメントとは、いままでの価値観をなぞるもの。
健全かつ安心してみていられる。
それもそのはずで、それまでの価値観をなぞるだけだから、価値観が揺さぶら
れることがない。
というと、芸術作品のほうが高級な気がする。

ただ、これは芸術=高尚、エンタメ=低俗というものではない。

sa_hiroエンターテイメントはこれまでの価値観を肯定する。芸術はこれからの価値観を示す。エンタメが低俗で芸術が高尚というのではなく、両者の差異は指向性(目指すもの)。 「ひとりテレビ〜アバターを語る」 http://okada.otaden.jp/e78891.html


つまり、当の人間がどちらを好むのか、といったちがいにすぎない、と。


これらは教養と日頃かの思考プロセスがあってなせる技。
恐るべし岡田斗司夫、というほかない*2

*1:詳しくは『神話の法則』参照のこと

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*2:このイベントで岡田さんは社会がパラダイムシフト(マネー経済社会から評価経済社会へ)しだしている、とも語っていた。いま思い返しても鳥肌が立つ。