思考の技術:試読版『自分のアタマで考えよう』その1


 いま一番注目しているブロガーのちきりんさんが、今月の末に新刊を出されるそうです。その名も『自分のアタマで考えよう』。考え方のヒントがたくさん詰まっている本らしいです。そのお試し版が『週刊ダイヤモンド』に付録されていたので、今日はそれをネタに書いてみようと思います。


週刊 ダイヤモンド 2011年 10/22号 [雑誌]

週刊 ダイヤモンド 2011年 10/22号 [雑誌]

「思考」は「知識」にだまされる


 たとえば、「男子は女子のレギンスが嫌い」という統計データがあり、それを知っていた(知識)とします。
 このデータから、「だから女子はレギンスなんか履かないほうがいい」という結論を導くことができます。
 でもこれは、自分の持論に正しさをもたらすためデータを利用しているだけですよね。ここでの知識はただの前提です。「男子はレギンスが嫌い」という知識とそれを裏付けるデータが一致したから自分の結論が補強されているだけであり、アタマを使って何かを考えているわけではありません。  


 女子がレギンスを履いている理由。それには、シュッと見えるから、ラクだから、カワイイから、というような動機が当然あるはずです。もし上のような統計データをもとに「考える」のだとしたら、「なぜ男子はレギンスが嫌いなのか?」「なぜこんな結果になったのか?」というような問いを立てて、それに対する答えを探すんじゃないのかな? 
 少なくとも、これで持論に着地するようなことはなくなります。


 レギンス愛好者のぼくとしては、毛嫌いする理由がまったくわかりません。デニムの短パンとレギンスの組み合わせって最強じゃないですか。
 とはいっても、これはレギンス賛成派の意見だけなので方手落ちです。そこでネットで反対(男性)派の意見を調べてみると「スカートの中のパンツが見える可能性がない」からという猛者がいました。
 いや、まぁ、分からないでもないけど・・・。ねぇ?(笑)


 あと、「ファッションってのは、異性へのアピールでしょ。だからアピールしないファッションするなんてダメじゃん」というロジックが多かったです。
 これも分からなくはないです。 


 ファッションというものは「見られたい私」の演出の結果です。
 大学生の頃からジャケットを着用するようになったのですが、それは「幼く見られてナメられるのはもう沢山だよ!」という童顔コンプレックスを解消するためでした。見た目と年齢との差をファッションという手段で穴埋めしよう作戦だったのです。つまり、対人用の戦略です。

 
 でも、ファッションは他人に見せるだけのものじゃありません。オシャレな格好をすることそのものが目的だったりします。
 なぜそんなことをするのか? もちろん、「わたしってオシャレー♪」というナルシズムを満たすためですよね。この変種には「わたしっ頭いいー♪」とか「わたしって優し−♪」とかあります。


 まとめると、ファッションには対人用と対自分用の2種類の目的があって、男性側が文句を言ってるのは、前者なんですよね。「キミのファッションって、自己愛率高すぎない?」と。
 で、女性側は後者(「わたしの自由でしょ」)をもとに反論してるわけです。
 

 対人戦略的に「レギンスはウケが悪いから履かない」はアリだと思います。見た目が重視される社会ですから、これはこれで賢い選択です。
 でも、それを承知した上で、レギンスを履くのも当然アリだと思います。むしろ、潔くてカッコいいです。
 それに対して文句を言うのはナシだと思います。「なんでオレの好きな格好をしてくれてないんだよ(涙)」とわざわざ苦情を申し立ててるようなものですから、ここはぐっと我慢して男を磨いたほうが得です。さすれば道は開かれん?

 
 というわけで、データから「思考」してみましたが、なんか思っていたよりもむずかしかったです。いままで思考してたつもりだったということがよく分かりました。ぐぐぐっ。 
 大人になると、知識がたくさん溜まってくるので、子供のころのような柔軟な発想ができなくなります。それは過去の事実の集合である知識が思考を束縛しちゃうからでしょうね。
 これに対するちきりんさんの処方箋は、思考するときは知識を一度「舞台の外に出す」といいよ、です。これはほんとその通りだと思いました。知識による思考への干渉を防がないと、どうしても持論に着地してしまうですよね。今回、意識的に知識を舞台の外に追い出してみたのですが、知識の干渉を防げたように思います。


 新刊、早く読みたいなぁ。


自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう