生き延びるための物語:『世界の電波男』


 なぜぼくたちは物語を求めているのか。
 それは「願望充足の予感」を与えてくれるから。

 

世界の電波男 ― 喪男の文学史

世界の電波男 ― 喪男の文学史


 今年マイベスト『ソーシャル・ネットワーク』は表向きは悲劇です。世界一のSNSを作ったのに、好きな女の子からはモテないマーク・ザッカーバーグ。が、そんな喪男(モテない男)の願望が「もしかしたら充足されるかも」という淡い予感を抱かせてくれる傑作でありました。
 こういう映画見ると、「もしかしたらオレも!」的な希望が持てるんですよね。染みるなぁ。


 でも、ときどき意地悪な人が「現実に帰ってこい」と言ってきたりします。「妄想ばかりしてないで『現実』で頑張れ」、といってるんですよね。でもこれはちょっとヘンです。
 哲学者のカントは、僕たちが認識できる世界には「現象の世界」と「精神の世界」があり、認識することできない「物自体の世界」というの三つ世界から成り立っていると言いました。
 図解にするとこんな感じ。

 意地の悪い人のいう「現実」とは、脳によって作り出された「現象の世界」(三次元)のことであり、想像力の賜物である「精神の世界」(二次元)と本質的には変わらないものだったりします。ようするに、いまある「現実」も「精神の世界」を脳が作ったものなんですね。だから「現実に帰れ」というのは、「物自体の世界」へ帰れということであるんです。なんか詭弁っぽいですけども(笑)


 だからといって「現実なんてどーでもいい」なんて言うつもりは全然ないです。現実世界で幸せならばそれは喜ばしいことです。ただし、「幸福の総量」が決まっている以上、現実世界でみんながハッピーということにはいきません。一部の人に女の子が、富が、権力が集中するように、多数の人には・・・orzな世界です。だから「願望充足の予感」を与えてくれる物語は生き延びるために必要なものです。


 評論家であり、ラノベ作家でもある本田透さんは、こうした物語を8つに分類しました。
 機能別に分類したものは以下。


1ー超人(力・モテ)
「俺」が主役の物語。
代表作:『新約聖書』『ドラゴンボール


2ー怪物(力・喪)
自分が超人になれないことに気づいてしまった喪男は、怪物化する。強ければそれでいい。力さえあればいい。「超人」のネガヴァージョン。
代表作:『フランケンシュタイン』『デビルマン』『DEATH NOTE デスノート


3ー時間(飛翔A)
俺が主役ではないと気づいてしまった今。過去へ戻ってやり直すか、問題が解決されているであろう未来へ飛んで仕切り直すか。
代表作:『タイム・マシン』『夏への扉』『時をかける少女


4ー空間(飛翔B)
俺が変われないなら、世界を変えればいい。別の世界へ行けば主役になれるかも。
代表作:『神曲』『帝都物語


5ー童貞(永劫回帰
どこにも逃げ場はなかった。永遠の喪を生きる覚悟。
代表作:『ドン・キホーテ』『地下室の手記


6ー人間萌え
自己救済が無理なら、他力本願を求めればOK。愛こそ、喪男を救う。
代表作:『罪と罰』『源氏物語


7ー空想萌え
科学が夢を生まなくなった今、アニミズム時代のファンタジーキャラが必要だ。
代表作:『ファウスト』『ああっ女神さまっ


8ー人工萌え
科学こそが人類を救う? 
代表作:『未来のイヴ
 

 これは物語を分類し整理するためのフレームとして役立ちます。超人には『ソーシャル・ネットワーク』のマークが入りますし、怪物には「ハリーポッター」のヴォルデモートが入ります。


 作品の読み方もすごく面白い。『新約聖書』や『ファウスト』『罪と罰』などの古典的名作を喪男の視点から語っているので、「俺|私の物語」として読めるようになります。
 この文脈の提供はありがたい。まさかゲーテの『ファウスト』が「同人誌」だったとは(笑)
 

 物語を整理するフレームと古典を読むための文脈を手に入れたい方は是非。