呪いの言葉が解除される日はくるのか?:『ソーシャル・ネットワーク』


ソーシャル・ネットワーク』は呪いを巡る話だ。



 マークはとにかく頭の回転が速い。いくつかの話題を同時に進めることができる。賢さをアピールするには最適の方法だ。
 けれども、話し相手の彼女・エリカには、真剣に話しをしてくれないヘンな彼氏にしか見えない。
 

 「マーク、あなたはいったい何の話しをしているの?」

 
 他者の気持ちを理解できない(アスペルガー症)マークは、彼女がなぜ不機嫌なのかよく分からない。やがてエリカを激しく怒らせてしまい、マークは振られてしまう。
 別れ際、エリカはマークに最後の言葉を残していく。
   

 「あなた、自分がオタクだからモテないと思ってるんでしょ? 
  全然ちがうわよ。あなたがクソ野郎だからよ(You are asshole)」
 

  これはマークにとって呪いの言葉となる。

 
 手痛く振られてしまったマークは、エリカを見返す手段としてFacebookを立ち上げる。
 Facebookはマークの分身だ。マークはもうひとりの自分であるFacebookを多くの人に利用させることで、自分という存在を認めてもらうとする。

 
 やがてFacebookは近隣の大学のあいだで評判になる。
 ハーバード構内で演説を行ったビル・ゲイツには、「君は未来のビル・ゲイツだ」と太鼓判をおされ、グルーピー(スターを追いかける女の子)からはモテモテ。


 レストランのトイレでグルーピーと楽しんだ後、マークはそこでエリカを見かける。


「やぁ、エリカ、元気だったかい?」
「えぇ、元気よ」
「ところでぼくのウェブサイト知ってる?」
「あなたの? いいえ、知らないわ」


 屈辱的な答えだった。ぼくのFacebookを知らないなんて!
 マークはFacebookをより大きなものに拡張することを親友のエドゥアルドに誓う。結果、Facebookは世界的なSNSとして大成功を収める。
 その反面、代償も大きかった。親友を裏切り、知人のアイデアを盗んだとして訴訟され、多額の賠償金の支払うことになる。そう新米弁護士のマリリンに告げられる。


 社会的に大成功した。いまでは世界中の人がFacebookを利用している。「才能」はだれもが認めてくれている。グルーピーもチヤホヤしてくれる。
 だけど、マーク・ザッカーバーグという「人間」を認めてくれる人は、誰もいなかった。
 

 世界的SNSの提供者が、世界一孤独というパラドクス。


 しかし、物語はまだ終わらない。
 かけられた呪いは、いつかは解ける。 

 
 彼女に振られ、親友を裏切り、知人からアイデアを盗んだ男。
 そんなマークという人間のすべてを知りつくしたあと、弁護士のマリリンは彼に言葉をかける。

 
 「マーク、あなたはクソ野郎なんかじゃないわ(You aren't asshole, Mark)
  ただ、そう振る舞っているだけなのよ」


 マークは返事をしない。表情も変わらない。変化は見当たらない。
 しかし、このとき、マークにかけられていた呪いは、たしかに解けたのではないか。
 Facebookのページを開き、リロードボタンをクリックしている姿が、その証拠といえないだろうか。


 このラストシーンを近年でもっとも感動的だとぼくは思う。
 自分という存在が初めて認められた瞬間ー呪いの解除された瞬間だからである。
 ぼく自身、呪いの言葉をかけられ、10年の月日を経て、解除された経験をしている者だからでもある。


 呪いの言葉は、呪われた者をいつまでも蝕み続ける。
 人は、なんとか呪いを解除しようとしてもがく。しかし自分ひとりの力ではどうにもならない。呪いは他者にしか解けないものだから。
 ぼくが解除することができたのは、まったくの偶然だった。そのときぼくは、心で泣いた。この世界に存在することを認められた気がしたから。
 おそらくマークもおなじ体験をしたはずだ。


 この物語は呪われた経験のある者の心を深く打つだろうと思う。
 かけられた呪いは、いつかは解ける。
 そのことを信じさせてくれる力がこの物語にはあるからだ。