1年があっという間に過ぎ去るのはなぜ?→『動的平衡』

 面白い本とはいままで見ていた世界がガラリと姿を変え、まったく違ったモノの見方を
読み手にあたえる作用をもっている。
けれども、多くの本がそうではない
 不思議な話である。
見たことも聞いた事もない人が書いているんだから、知らないことで埋め尽くされたその
本は、こちらの視点を変える要素は有しているはずなのに。
どうも知らないことだけでは十分ではないようだ。
それにはいくつものファクターが絡まっているだろう。
が、ずばっと本質を抽出すれば、私の頭の中にある知識体系を改変させる情報が面白い本
の必須条件であるとわかる。
つまり読み手の「これが常識だ」という脳内の常識を、「そうじゃなくてね。ほんとはこ
うなんだよ」と一度脳内にある知の体系をガラガラと解体し、新しくシステムを再構築す
るところに、わたしたちは快を感じるのである。
それが読書という行為において、わたし(たち)が面白いと呼ぶ内実である。
 メイビー。


 分子生物学者の福岡伸一さんの新著『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』は、その
難解そうなタイトルとは裏腹な刺激的で面白い本である。
 具体例を引こう。


 時間の経過の早さについて。
だれもが口を揃えて言う。
最近、時間が経つのがめちゃくちゃ早いよな、って。
子どもの頃は一刻も早く大人になりたかったのに(なったら大変なのにねぇ)、時間の流
れ方がとても遅かった。
けれど、今では一年なんかあっという間。
気付いたら年の暮れ。
これ、どういうこと?
福島先生によれば、これを解く鍵は「時間の経過を「感じる」、そのメカニズム」にある
らしい。
そしてたぶんこの推測は正しい。
 物理的な時間の流れは方は変わらない。
1日24時間、1年では8760時間。
これはどの生物にとっても同じことであり、普遍的な事実である。
だから、時間の流れ方が代わりがないとするならば、変わったのは私たちの時間の感じ方
である、と。
 ここまではよい。
では、どうして、体内での感じ方と外界で流れる時間とがズレてきてしまうのか。
そこが問題である。
これに関して福島先生よりわかりやすく書くことができないので、長文になってしまうけ
れどすべて引用させていただく。

それは私たちの「体内時間」の仕組みに起因する。生物の体内時計の正確な分子メカニ
ズムは未だに完全には解明されていない。しかし、細胞分裂のタイミングや分化プログラ
ムなどの時間経過は、すべてタンパク質の分解と合成のサイクルによってコントロール
れていることがわかっている。つまりタンパク質の新陳代謝速度が、体内時計の秒針なの
である。
 そしてもう一つの厳然たる事実は、私たちの新陳代謝速度が加齢とともに確実に遅くな
るということである。つまり体内時計は徐々にゆっくりと回ることになる。
 しかし、私たちはずっと同じように生き続けている。そして私たちの内発的な感覚はき
わめて主観的なものであるために、自己の体内時計の運針が徐々に遅くなっていることに
気がつかない。
 だから、完全に外界から遮断されて自己の体内時計だけに頼って「一年」を計ったとす
れば、三歳の時計よりも、三十歳の時計のほうがゆっくりとしか回らず、その結果「もう
そろそろ一年が経ったかなあ」と思えるに足るほど時計が回転するのには、より長い物理
的時間がかかることになる。つまり三〇歳の体内時計がカウントする一年のほうが長いこ
とになる。
 さて、ここから先がさらに重要なポイントである。タンパク質の代謝回転が遅くなり、
その結果、一年の感じ方は徐々に長くなっていく。にもかかわらず、実際の物理的な時間
はいつでも同じスピードで過ぎていく。
 だから?だからこそ、自分ではまだ一年なんて経っているとは全然思えない、自分とし
ては半年くらいが経過したかなーと思った、そのときには、すでにもう実際の一年が過ぎ
去ってしまっているのだ。そして私たちは愕然とすることになる。
 つまり、(…)実際の時間の経過に、自分の生命の回転速度がついていけない。そうい
うことなのである。(『動的平衡』、p44)

 
 こう言われて考えてみれば、たしかにそうだよなと気付くのだが、時間の経過時間のよ
りどころにしているのは体内感覚である。
 腕時計を見て時間を確認するのはその時点での時刻であり、実感はその時々で異なる。
面白い映画ならばあっという間だが、つまらない映画なら地獄のような長さだったりす
る。
 つまり時間の感じ方は体内の新陳代謝速度に依存し、その「体内時計」こそが私たちの
感じている(主観的な)時間の正体なのである。
 しかし、この「体内時計」は、大人になるに従って遅くなってくる。そこにおいて外界
の(客観的な)時間とのズレが生じ、内と外との時間差の違和感が生じるのである、とそ
う福島先生はおっしゃるのである。
なるほどねえ。
 そしてこのような話が腹にストンと落ちたとき、たまらないぜという快感を感じ、新し
い世界を見る枠組みを入手した読者は「これって面白い本だな」と感じるのである。
 メイビー。


動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか