欲望とは他者の欲望である。「生き延びるためのラカン」


それを欲しいわけがいえる?


ジャック・ラカンという精神分析家の入門書(タイトルの本)を読んでいたら、、

このような興味深い言葉に出会った。


つまり、何かしらのものを欲したとき、なぜそれを欲しがっているのか

を言えるか、ということ。


うーーん、どうだろう?

そう問われると、案外答えに窮し、無理に探す作業を

しなくてはならない。


このようなとき、一つ物語を紡ぐと分かりやすい。


先日の出来事なのだが、i-podなどで有名なアップル社が、

i-phoneという新製品を出すらしい。(アメリカなどでは

もう発売されているらしい。)


残念なことに、日本での未定で、日本人はこれをつかえるのか

分からないのだが、ネットでそのボディーをみたところ、

ものすごくかっこよかった。


それを見たとき、「これ、なんとしても手に入れたいな」

という強い欲望が内側にいることにに気づいた。


でも、考えてみると、なぜそこまで欲しいと思ったのだろう、

と疑問に思う。


デザインがカッコよかったから。

スペックがいまあるケイタイより優れているから。


内省し、探ってみたところ出てきた答えは、こんなところだった。


だが、この無理やりひねりだした動機をよく見ると、

「自分の欲望を説明するには、他人の尺度を持ってくるしかない。」ということが分かる。

(カッコいいや優れているというのは、他との比較があってこそだから。)


ラカンは「欲望とは他者の欲望である。」とも言っている。


僕らが何かをほしい!と思ったとき、それは

他者が欲しいと思っているものだということ。(らしい)


さきほどのエピソードでは分かりづらいので、

ここでも物語を一つ紡いでみようと思う。


とってもアイスを食べていたときのこと。

(ハーゲンダーツなんかがいいかな。ガリガリくん、じゃ

もうおいしいっておもえないもんね。)


最初の一口は抜群においしく、おいしい、おいしいと

ニコニコしながら食していた。


けど、食べ進めるうちに、だんだん口の中があまったるくなってきて、

アイスに飽きてきた


なので、友人に上げることにした。


Mくん、このアイスあげるよ。


すると、大喜びするMくん。(純だなぁ。)


そのとき、ボクの中にある感情が芽生えた。


…やっぱり、アイスをあげるのはもったいない。


なので、急遽前言撤回。アイスを無理して食べちゃったとさ。

おしまい、おしまい。


誠に陳腐で凡庸な物語だけれど、これは欲望の本質を表してる。


食べ飽きてきたアイスをMくんにあげようとしたら、

大喜びした彼。


その姿をみて、「あげるのは惜しいな。やっぱやめとこ」

っと思った自分。


ココが肝心なところである。


仮に彼が、「そんなもん、いらねーよ。」といったらどうだろう。

きっと、ゴミ箱行きは逃れられないのではないかな。


ジャック・ラカン氏のこの洞察は見事なものだと思う。


僕らが欲しているものは、実は他者が欲しているものである。


限定商品などに、僕らが弱いのもココに準拠するところが多いのでは

ないだろうか。


数が少ないという事実が僕らにもたらす影響力は、

入手できる可能性が低いという以上に、取得人数が限られており、

それは他が欲してもなかなか入手することがむずかしい、ゆえに欲するということだ。


この知見は汎用性がある。


欲望の本質が他者の欲望だって分かっていたら、バーゲンなんかであまり

無駄遣いせずにすむかもしれないから。(笑)

たくさんの人が群がってるから、とかそんな理由でいつも失敗しちゃう人(自分含む)には

これは有用な知識だよなぁ。


というわけで、ジャック・ラカンの入門書の紹介でした。


自分の内側にある心。

これを探ったりすることが好きな方には、とっても面白い知見が数多く発見できる

めちゃくちゃ面白い良書だと思います。

生き延びるためのラカン

生き延びるためのラカン

  • 作者: 斎藤 環
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2006/11
  • メディア: 単行本