男と女の解体書→『関係する女 所有する男』

精神科医斉藤環さんが新著を出版されていた。
書名は『関係する女 所有する男』。
本書では男と女の性差(ジェンダー)をラカンの理論を援用して精神分析的に分析している。

関係する女 所有する男 (講談社現代新書)

関係する女 所有する男 (講談社現代新書)


男は所有原理、女は関係原理で動くというのが、この本の基本的な考え方。
で、この2つの原理はおそろしく男女の行動の多くを説明できてしまう。
たとえば、第三章、すベての結婚はなぜ不幸かで論じられている結婚にまつわる話は、未婚なが
らおそろしいリアリティと真実がそこにあると感じられる。
少し引用してみる。

女性は結婚を「新しい関係のはじまり」と考える。
男性は結婚を「性愛関係のひとつの帰結」と考える。
(…)
 性愛関係を所有として考えがちな男性によって、結婚はいわば女性という牛に(失礼!)焼き
印を押して、牧場の柵の中に囲い込んでしまうような行為だ。
少々ほったらかしにしても、柵があるから、そう簡単には逃げられない。万が一逃げ出せたとし
ても、焼き印がしてあるから誰も手が出せない。そう、焼き印が指輪で柵が家庭だ。
 だから男たちは、遅かれは早かれ蜜月期間を過ぎてしまうと、しだいに夫婦関係のメンテナン
スを怠るようになってしまう。それどころか、懸命にメンテナンスをしようとする妻の努力を無
視したり、冷笑したりして相手にしなくなる。実はここには、男性側の甘えがある。それはいっ
たん所有されてしまった女性は、所有者のことをけっして裏切らないだろう」という、およそ根
拠のない確信だ。(p90-91)


最後の一言に男の胸はぐさりと貫かれる。
まさに、手にした(所有した)女性が自分のもとから離れていくことは絶対にないだろうという
「根拠のない確信」を男性は愚かにも胸中にしっかりと抱き、そこに甘え、固執してしまうから
(買い物時に、女性ひとりに会計を任せ、自分はどこかへ行ってしまう男など、この「根拠のな
い確信」を抱いているといって差し支えないと思う)。
この確信は、頭で考えた理屈(根拠からの推測)ではなく信念(絶対に間違いない!)に近いと
思う。
しかし、そうした「根拠のない確信」がまた、性愛関係を結んでいる二人にとってしばしば不幸
を呼び込むのだが…。
もう一つ引用してみる。

女は結婚をあたらな関係の始まりととらえるので、そこに「よりよい変化」を期待する。結婚は
そうした関係への希望を持てるかどうかの前提条件になるのでその条件をクリアできるまでは男
性以上に強い不安を抱くことになる。
 いっぽう男の希望は所有の希望である。結婚するまではどれだけの異性を所有しようと自由
だ。それゆえ結婚は男にとって、異性を所有する行為の最終形態ということになる。それゆえ男
は、結婚した後で、果たして自分はどこまでこの最終形態に満足できるのかという不安を抱え込
む。
(…)
 結婚した女にとって、結婚したての男は、まだ「未熟な夫」でしかない。その夫が自分との関
係の中で「最高の夫」へと変化していくプロセスこそが、女の希望である。
しかし男は逆だ。男にとって結婚したばかりの妻こそが「最高の妻」なのである。性格的にも外
見的にも。また、だからこそ男は結婚による所有欲の満足にしばし酔いしれる。
それゆえ妻がいつまでも結婚当時のままであることを願う。しかし妻は変わっていくだろう。外
見も性格も、そして「夫に対する忠誠度」までも。それは夫にとって、所有する株の価値がどん
どん下落していくにひとしい恐怖である。(p101-102)


ここに男側の結婚に対する恐怖が端的に示されているように思える(女性側の心理はもちろん想
像するより他ないが、指摘されている内容は事の真相とらえているように感じる)。
男が心配することは、いま最高潮にある効用(妻が美しい、性格がかわいい、尽くしてくれる
etc)が、今後どれだけ低下していくだろうか(容姿の衰え、性格のシフト、忠誠度の低下etc)
であり、それが男が結婚することに対する不安である。
だから男は、将来的にどんどん目減りしていく(ように思える)幸せと現在の幸せを天秤にか
け、結婚するかどうかを推し量り悩んでいるのである。
しかし、なぜ結婚に踏み切れるかといえば、さんざん彼女との結婚を考え倦ね、すっかり疲労
た末に、「やっぱりオレは彼女と一緒にいたいのだ」という、ある種の投げやりで、やけくそ気
味な決断の飛躍があるからではないか。


あと、心に触れた言葉のメモを。


男と女の最大の違いは、「所有」と「関係」の違いである。p4

・欲望をもたらすのは常に「差異」であり、性差こそは、僕たちが人生で最初に経験する、もっ
とも重要な「差異」にほかならない。p8

・欲望に傷つけられまいとして否定を重ねていくと、人は簡単にシニシズム冷笑主義)に陥っ
てしまう。シニシズムは防衛としては強力だが、自分の欲望すらも否定してしまうので、しばし
ば間違った悟りのような境地を作り出してしまう。p11

・「自由」というのは、けっして真っ白いカンヴァスにのびのびと筆をはしらせるようなイメー
ジとしては実現されない。自由であるためには、それぞれの個人が、「自分がどんなふうに不自
由であるか」を十分に自覚しておく必要がある。p14